うちの子どもたち3人にとって
わたしへの想いは様々です
もう大学生になった長男は
「お母さんの話を友達にするとさ・・・
『めっちゃファンキーだな!』って言われるよ。
他にも、
『亮太のうちに行くとさ、とりあえず
トイレのドアの開き方と、お母さんに驚くよな!!』
とか
『亮太の母ちゃん、うちの母ちゃんと全然違う生き物に思う。』
とか言われるよ」
と話してくれます。
中学校までは、参観会の体育とか
リレーメンバーが足りないチームがあると
「私が入ります!」と言って
わたしが参加したり(ちゃんと1位になった( ̄▽ ̄))、
授業中に私が先生に質問したりするのが
本当に嫌だったみたいです。
高校生になったら、面白く思えたみたいです。。。
高校生の長女は
「とにかく学校に来たらおとなしくして」
「参観会に来たら声は出さないで」
「廊下でスキップとかしないで」
「普通の格好できて」
「どこでも太極拳とか始めないで」
とか私に言う割に
中学校の先生からは
「はるみさんから、お母さんの話はよく聞きます!」
とか聞くので
同級生には私のことは知られたくないけど
先生は知ってもいい。。。
そんな認識みたいです
末っ子の娘は
「お母さんはなんでも器用にこなせるけど
台本通りには決して動かないからね・・・・」
とぼやきます (;´∀`)
お母さんって
なんでしょう?!
皆さんにとってお母さんって何ですか?
いろんなお母さんたちと話していると
いつも思うことがあります
それは
〇自分の母に想う母親って? と
〇母としての生き方と
〇その人自身の生き方
それぞれが異なるということです
「わたしの母はこんな人でした
だからわたしは そんな母にはなりたくないのです」
「母親だからこうした方がいいんですよね?」
「本当は働きたいんですけど、子どものために・・・」
みたいな^^
この3つが一致すると
お母さん業って、もっと楽な気がします
わたしにとって、私の母は「光」です
まぶしくて嫌な時も
心が救われた時も
いろんなことがありましたが
いつも心の中にある光です
わたし自身が母になったとき
「子どもにかっこいい背中を見せる!」
というのを心に決めた気がします
うまい言葉を言うことも
優しいまなざしを与え続けることも
わたしにはできないと思ったため
早々に、私が全力で私という人生を生きる
その背中を見せよう!
生きることは楽しい!と伝えよう
と決めて過ごしてきました
感情的に叱ってしまうときも
子どもにストレスをぶつけちゃうときも
今を全力で生きた結果だ!
お母さんはやれるだけやったから
あとは自分自身で帳尻合わせて!
という気持ちでいましたし
子どもたちにも
そう伝えてきました
〇子どものためにこれをしなきゃ
〇母としてこんな言葉を言わなきゃ
〇家にいてあげなきゃ
〇体にいいことをしてあげなきゃ
〇学校生活で困らないようにしてあげなきゃ
とか あんまり思いませんでした
美味しいごはんを一緒に食べたいから作る
めんどくさいなら 食べに行っちゃう
体にいい物は 自分のために食べる
子どもが健康なほうが助かるから
健康になる方法を知る 実行する
家に居たいときはいる 出たいときは出て行っちゃう
言いたいことは言う
学校生活は困った方がきっと学びになる
だから、持ち物とか宿題はチェックしない
こんな風に過ごしてきました
母として さらに子どもたちに伝えたことは‥
ひとにとっての絶対は「いつか死ぬこと」
だから
早いうちに 家事を仕込み
生きることの方法を伝えてきました
炊事洗濯掃除のやり方
物の作り方
ペットのお世話
買い物など
わたしがやれることは
子どもたちもやれるように
いつも家事を子どもと共有していました
「お母さんはいつか必ず死ぬよ
明日生きている保証は誰にもないのよ
だから 遠くの親戚にもらわれても
可愛がられるように
もし 一人で生きていくことになっても
生活できるように
生きる術は 身に着けてね」
と、ことあるごとに伝えていました
末娘が5歳くらいの時に
この話をしたら
「じゃあ、nanacoも置いて行って!
そしたら歩きで買い物できるから!」
という答えが返ってきて
大笑いしながら 感心した覚えがあります^^
『お母さん』ってやっぱり
特別な存在です
わたしが母を光というのは
輪郭もなく 色も多様
見る人によって価値観が変わる
そんなエネルギー体だと思うからです
お母さんをしている方々
光になりませんか?
その光をどう捉えるのか
子どもの自由にさせてみませんか?
皆さんの中のいいお母さん像と
子どもたちが思ういいお母さん像って
けっこう違います^^
子どもたちに価値観の自由を与えましょう♪
それは 皆さん自身の中にある
お母さんという価値観を開放させることに
なると思うのです
お母さんが自分の人生を楽しんでいる
子どもといる時間を お母さんが楽しんでいる
そんなとき
放たれる光は 真実の愛の光だと思います
だって 自分への偽りのない愛が
真実の愛だと
山口は思うからです(*^^*)
悩みながら
笑いながら
泣きながら
喜びながら
怒りながら
心震えながら
感動しながら
「お母さん」を生きる女性が
わたしは大好きです
心から愛おしいのです
だから
「お母さん」
という自分の光を
信じてください
光は何もしなくて
そこにあるだけでいいんです
いつもいつも応援しています^^
自分の光を 自分で磨きましょ♪
そして皆さんにとっての
「お母さん」を
全力で生きていきましょ♪
『 目を閉じて 自分の光を 感じましょ♪ 』